一般的にブランドで「嫌われる」は決して好ましいことではありません。
しかし、自由経済社会においてシェア100%を維持し続ける商品やサービスがほぼ見られないことから、ブランドには①好かれる②意識されない③嫌われる/という3つの態度を受け入れるころは避けられません。一定数からは「嫌われる、あるいは無視される」ことは頭に入れておくべきです。
その強度は、企業の業種やその商品サービスが属する分類(例えば、最寄り品、買回り品、専門品など)により異なりますが、自分たちが扱っている商品サービスが大なり小なり「これは好きではない」とか「相性が合わない」と判断されてしまう。
実際、そのようなことは誰もが分かっているのですが、ブランドに関する議論(プロジェクトなど)では、時としてそこが抜け落ちることがあります。
特に「ブランドの価値を上げてビジネスを立て直したい」という想いから始まった場合はその傾向が強く出るかもしれません。
顧客や社会から「我々はこう見られたい」とか「私たちの理念は〇〇です」など表現を着飾っても商品自体、売り方自体に力が無ければ全く評価されません。
シェアや売り上げの増加を意図するのであれば、まずは商品開発や品質サービス保証やマーケティング手法に問題がないか向き合うことが先です。
ブランドのサポートをしているのに、何てこと言うんだ、こいつ?
と思われるかもしれませんが、自社のブランドを考える、特に改革してゆこうとする場合には、本当に接点を持ち続けたいと思うターゲットを確認し、その層とビジネス関係を継続することを最優先に考えるべきだと思います。
ただ数字を追うとターゲット像がぼけてしまい、真の顧客の不興を買ってしまいます。
そのためには、「ターゲットでない層に嫌われたとしても仕方ない」と開き直ることがあっても良い。
但し、嫌われるのも「軽蔑される」ということではなく、存在は認められるものの「自分の考え(自己認識)と異なる」という嫌われ方が望ましい。
なので、SNS時代の所謂「アンチ」は、説き伏せたり黙らせたりを試みるのではなく、つまらない揚げ足を取られないよう淡々と構えれば良いのだと思います。
アンチコメントが出ることだけを恐れだすと自信が薄れて、迎合する意識が芽生えてしまいますし、過剰な反応はさらなる炎上も引き起こします。
嫌われるけれど、存在自体は嫌がられない、、、そんな自信をもったブランドはある意味かっこよいのではないでしょうか。
今から10年ほど前に出版された書籍に「嫌われる勇気(アルフレッド・アドラー著)」というのがありました。
デジタル時代のブランド戦略を考えるのは、心理学や行動経済学や最新のマーケティング論などを学ぶことも必要ですね。